1940年に軍用トラックボデーメーカーとしてスタートした岐阜車体工業は、トヨタとの関わりを深めながら、完成車メーカーへと成長を遂げてきました。その歴史は、常に挑戦と創造の連続であったといっても過言ではありません。ものづくりへの情熱、そしてチャレンジスピリットに支えられた当社のあゆみをご覧ください。
岐阜車体工業株式会社を設立。
トヨタKB型トラック(4トン)の生産を開始
鉄工業を営む星野商店と、自動車の荷台製造などを手がける野尻自動車工場および川島ボデー製作所が結びつき、新たに「岐阜車体工業」を設立。取締役社長に星野鍵太郎が就任し、トヨタ軍用トラックボデーの生産を開始します。スタート時の従業員数は役員も含め23名でした。
前身の野尻自動車工場と川島ボデー製作所
SB型小型トラックボデー生産開始
終戦を機に戦時色の払拭がみられる中、トヨタはKB型トラックをモデルチェンジしたBM型トラックを発表。さらにSB型小型トラックを発表し、当社はそのボデー生産を請け負うことになります。そして需要に対応するため、着々と生産設備の充実を図っていきました。
SB型小型トラック
トヨタ自工にプレス部品の納入を開始
当社系列会社のプレス技術が認められ、トヨタ自動車工業に加工部品の納入を開始。また、この頃、小型トラックユーザーからボデーの多様性を求める声が高まり、SB型ピックアップボデーとライトバンボデー、貨客兼用車の生産を開始。結果として、これが後年の特殊車開発の端緒となりました。
SB型ピックアップボデー
オールスチール製ボデー生産開始
トヨタ自動車販売からの委託により、BJ21幌型ボデーの製造を開始。これは、プレス化された各種のボデー部品を使用した、初のオールスチール製ボデーでした。また、当社の協力会社28社による、交流を目的とした「岐阜車体協力会」が発足したのもこの年です。
BJ21幌型ボデー
トヨタ自動車工業との直接取引開始
トヨタランドクルーザー用のトレーラーボデーでトヨタ自動車工業との直接取引が開始。自動車産業の好調により、トヨタは月産3万台計画を発表し、当社も追随する形で羽島郡岐南町に岐南工場を完成させました。こうして当社のボデー部門はトヨタの傘下に入り、成長期を迎えることになります。
岐南工場と生産工程の様子
RK175型(ダイナ・ロングボデー)生産開始
東京オリンピックの前景気に沸いた1963(昭和38)年は、トヨタ自動車工業が月産3万台計画を達成した年です。当社は「トヨタのもとに、総てをトヨタのレベルまで」をスローガンに、トヨタ自工号口(量産)車生産の道へ。そして新たにRK175型ロングボデーの生産を開始しました。積載量が多く、堅牢にして優美、軽快な性能を誇るロングボデーはヒット車種となり、当社発展の原動力となりました。
RK175型ロングボデーラインオフ式
本社・本社工場を各務原市鵜沼三ツ池町に移転
創業30周年の節目を迎え、竣工したばかりの各務原工場に本社事務所を建設し、本社を移転。当社機能は、岐南工場を残してすべてが各務原に集結しました。生産は拡大基調の一途をたどり、記念式典が行われた同年4月の生産台数は月間新記録の2,477台を達成しました。
新事務所全景
「かんばん方式」本格導入
自動車業界の好調は続き、トヨタ自動車工業は生産累計台数1,000万台を達成。当社の月間生産台数も大幅に伸びました。これに伴い、生産体制の改善が進められ、“必要なものを、必要な時に、必要なだけつくる”トヨタ生産システム「かんばん方式」を本格的に推進するべく、実習生110名をトヨタ自動車工業に派遣。全社一丸となった「かんばん方式」の定着活動を展開します。
ダイナロングデッキ(RU15H)の輸出により、日中貿易にも一役買った
トヨタ品質管理賞、優良賞受賞
「トヨタ品質管理賞」は、トヨタ自動車工業がTQC(Total Quality Control:総合的品質管理)を仕入れ先全体に浸透させる目的で1969年に導入した制度。当社は「優秀賞」をめざして、QCサークルや提案制度による活気ある職場づくりに注力し、1980(昭和55)年に受賞を勝ち得ました。
トヨタ品質管理賞を受賞
ダイナ(5代目)生産開始
5代目ダイナのラインオフ式
トヨエース(5代目)生産開始
この頃、海外からの工場視察が増加
須衛工場(シートトラック部品組立工場)竣工
須衛工場全景
高規格救急車ハイメディック生産開始
1991(平成3)年に施工された救急救命士法に対応する高規格救急車「ハイメディック」の製造を開始。救命救急士が立ったままの姿勢で救急医療行為ができる広い室内と、揺れの少ないことが特徴のハイメディックは、3代目の現在も、国内の高規格救急車市場においてトップシェアを獲得しています。
初代ハイメディック車
メガクルーザーで第30回東京モーターショーに挑戦
千葉幕張メッセで開催された第30回東京モーターショーに、トヨタ自動車、日野自動車と共同開発した「メガクルーザー」を参考出品。当社はトヨタ自動車の指導と協力を受けながら、アッパー・ボデー部分を担当しました。
来場者の注目を集めたメガクルーザー
創立55周年
トラック需要が冷え込む中、ダイナ(6代目)・トヨエース(6代目)の生産開始という明るい話題がもたらされたこの年、岐阜車体工業は創業55周年を迎えました。10月に新装オープンした福利厚生施設「かとれあくらぶ」3階ホールで記念式典を開催。新しいシンボルマークも制定されました。
創立55周年記念式典
メガクルーザー生産開始
1993の東京モーターショーに参考出品したメガクルーザーの市販が決定。オフロード志向の一般ドライバーにも「和製ハマー」として人気を博し、当社はこの年1年間に約80台を生産しました。
メガクルーザー
トラックボデーメーカーからワンボックスボデーメーカーへ
トヨタ車体から移管を受け、ハイエースハイルーフ(4代目)の生産を開始。それまでの主力だったダイナとの混流生産など、数々の試行錯誤を経て、2001年には車両部門の2直化をスタートさせます。こうして岐阜車体工業はトラックボデーメーカーからワンボックスボデーメーカーへと転身を遂げました。
ラインオフ式
ISO14001(環境マネジメントシステム)認証取得
ISO14001審査風景
新賃金制度がスタート
2001年に会長職に就いた星野鉄夫自ら、旗振り役を務めた人事制度改革。「社員の自立を尊重し、発揮された能力や成果を正しく評価する中で会社も社員も強くたくましくなっていきたい」。そんな願いを“川の流れ”をになぞらえ、従来の年齢給を廃止し、業績能力給体系を導入したほか、退職金制度の全廃、中途採用の処遇変更、教育訓練の強化など、大胆な改革を断行しました。
ISO9001(品質マネジメントシステム)認証取得
ISO9001決起集会の様子
ハイエーススーパーロング(5代目)生産開始。新事務所本館竣工
新事務所本館
OSHMS(安全衛生マネジメントシステム)認証取得。ハイメディック(3代目)生産開始
2代目ハイメディックとのお別れ
トヨタ車体との株式交換による完全子会社化
株式交換契約書への調印
車両生産累計200万台達成
2008(平成20)年のリーマンショックに端を発する世界同時不況の影響は厳しく、当社では2009年に入っても全社休業日が設けられるなど、生産調整が続いていました。車両生産累計200万台を達成し、記念式典が組立ファイナル工程で行われたのは同年5月。大幅な減産体制の中でこの日を迎えた喜びはひとしおであり、200万台目のハイエースは大きな拍手で送り出されました。
200万台達成記念式典
「美濃白川 岐阜車体の森」誕生
水源林の保全、里山の保全などの生きた森林づくりを進めることと、社会貢献及び地域との交流を図ることを目的として、白川町と岐阜県との協働による水源の森林づくり協定を締結しました。
「美濃白川 岐阜車体の森」調印式
ノックダウン生産開始
南アフリカでの技術指導の様子
新社員食堂「Sha・shock スマイル」誕生
2013年の創業70周年記念事業の一環として新社員食堂が誕生。当社社員と各分野の専門業者様がプロジェクトチームを立ち上げ、意見を出し合いながら足かけ2年の歳月をかけて完成させました。
24色を巧みに使ったインテリア
ガーデン誕生
岐阜車体工業を長年見守り続けてきた「お稲荷様」をテーマに、1年中豊かな緑を楽しめるような植栽や遊歩道を配したガーデンが誕生。社員食堂と同様、伊藤孫左衛門さんの設計によるもの。ただ眺めるだけでなく、食後の散歩や歓談など、従業員の憩いの場として親しまれています。
シートトラック事業をトヨタ車体精工株式会社へ譲渡
平成27年5月19日、当社とトヨタ車体精工株式会社の間でシートトラック事業を譲渡することを定めた契約書の調印式を行いました。これにより、当社は平成27年7月1日から車両事業に特化。同時に、ノックダウンマザー工場としてトヨタの海外市場における競争力強化に貢献するべく、新たな一歩を踏み出すこととなりました。
新型コースター生産開始
24年ぶりのフルモデルチェンジを機にトヨタ車体吉原工場から当社へ生産移管され、1月より生産を開始しました。
新型ハイエース生産開始
ハイエースに海外向け新シリーズを投入。3月より生産を開始しました。